小さな競馬場のJBCと“うまてなし”
2025年01月10日
2024年、佐賀競馬場で初めてJBCが開催されました。馬産地・九州で唯一生き残った地方競馬場は、1周1100㍍のコンパクトな空間。馬券発売を行うJRAのG1デーは多くの来場者はあるものの、現地でJBC級の大レースが行われるのは初めてでした。
そこで、事前に様々なイベントに合わせてシミュレーションを実施してきました。その一つはウマ娘イベント。アニメやゲームが人気で、地方競馬場でイベントを行うと限定ノベルティ目当てに徹夜組も続出する人気コンテンツです。
佐賀競馬でもJBCの約1年前にウマ娘イベントがあった際、多くの来場者を見込んで九州新幹線・新鳥栖駅から初めてシャトルバスを運行。これまで友の会バスという名でJR久留米駅から1台の有料バスを走らせていましたが、県外から多くの来場が見込まれるJBCではより競馬場にも博多にも近い新鳥栖駅の方が利便性が上がります。そこで、ウマ娘イベント来場者へのサービスをしつつ、バスのシフトやロータリーの使い方などをシミュレーションすることができました。また、場内の売店・食堂では500円以上購入者にウマ娘オリジナルポストカードをプレゼント。店側は普段と異なる多くの来場者への対応を経験したのでした。
このように万全の準備を行って迎えた当日。馬主席では佐賀ならではの“うまてなし”が行われました。馬主のみなさんが普段訪れるJRAの競馬場のような立派な設備はありませんが、少しでも快適に過ごしていただこうと、馬主エリア入り口では嬉野茶のおもてなしカウンターが登場。佐賀県名産の緑茶をその場で淹れたててでいただくことができました。また、「鍋島」などに代表される県内の地酒が飲めるバー、呼子町で有名ないかしゅうまいのせんべいや、ご当地菓子・ブラックモンブランなど小腹を満たせるお菓子も用意。温かくて心のこもったおもてなしを行いました。
日が傾きかけた頃、JBC佐賀の開幕戦として行われたJBCレディスクラシックはアンモシエラが勝利。約1カ月前に砂が補充され、普段よりも約2頭分、内を空けて走るレースが多く見られたのですが、同馬は先手を取って早めから後続との差を広げると、3~4コーナーは深いとされる内ラチ沿いに進路を取り、直線で再び走りやすい馬場の真ん中に横山武史騎手が誘導しました。
その進路取りについて「ギャンブルだったんですけど、内外の差を使って後続を離せれればと考えました」と横山騎手。生産した桑田牧場代表の桑田美智代氏は「初めてのG1勝利で、信じられないくらい嬉しいです」と喜びました。
JBCスプリントは直線の追い比べを制したタガノビューティがこちらもG1/Jpn1初制覇。追い込み脚質の同馬にとって、地方競馬場で行われるダートグレード競走はコース形態やレース展開が向かないことも多く、幾度となく苦汁を飲んできましたが、大舞台で雪辱を果たしました。
メインレースとなるJBCクラシックはウィルソンテソーロが制覇。勝負所で先頭集団の5~6頭が密集する中、3コーナーで内を突いて一気に抜け出す脚は素晴らしく、先頭で迎えた直線は大歓声に包まれました。鞍上の気迫も伝わってくる騎乗で、川田将雅騎手は佐賀競馬場で生まれ育った、いわば地元のヒーロー。
ウイニングランでは温かい拍手に包まれ、さぁ表彰式へという時。スタンドの熱気からほんの少し空間を隔てた検量室前で静かに、だけど嬉しそうに立っていたのは川田騎手の父・孝好調教師でした。佐賀の調教師で、当レースに管理馬の出走はありませんでしたが、息子の勇姿を見守っていたのでした。
「おめでとうございます」
シンプルなひと言をお伝えすると、目尻を下げて「ありがとうございます」と喜ぶ川田調教師の様子から、佐賀競馬初開催のJBCを盛り上げたい並々ならぬ思いが川田家にあったんだろうなと感じました。
生産はリョーケンファーム株式会社。表彰式で馬主の了徳寺健二オーナーは「ウィルソンテソーロは北海道に作った牧場の第一期生で感慨ひとしおです」と話しました。
ウィルソンテソーロの勝利により最大の盛り上がりを見せたJBC佐賀。JBCクラシックの売得金21億1239万9800円は佐賀競馬の1レース売り上げレコードでした。さらに、全国から1万2386名の入場者が詰めかけた1日の売得金55億9140万3800円も1日の売り上げレコード。九州の小さな競馬場が、大きな歴史の1ページを刻んだ一日となりました。
当協会会員馬の優勝記録 ‐2024年12月-
2025年01月09日
カテゴリ:愛馬の記録
謹んで新年のお喜びを申し上げます。
2025年01月01日
皆様におかれましては輝かしい新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。
旧年中は格別なご高配を賜り、誠に有難うございました。
本年も、昨年同様のご愛顧を賜わりますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。
カテゴリ:お知らせ・イベント
海外競馬の愉しみ方 :浅沼博幸氏
2024年12月24日
幸運なことに、今年もまた愛馬デルマソトガケとともに米国ブリーダーズカップに参加することができました。期待したほどの結果は残せませんでしたが、音無秀孝調教師はじめ関わってくれたすべてのスタッフ、騎乗してくれたC・ルメール騎手には深く感謝したいと思います。この場を借りて、御礼申し上げます。
今回のブリーダーズカップは、デルマソトガケにとっては7度目の海外重賞挑戦でした。14戦目、彼の競走人生においてはちょうど半数が海外での競馬となります。「なぜ、海外で出走させるのか」という事を、よく聞かれます。
その理由は1つではありませんが、最も大きな理由は、デルマソトガケは日本のダートコースよりも、海外のダートコースの方が能力を発揮できると、音無先生が判断してくださったからです。一昨年暮れに、全日本2歳優駿を勝たせてもらったあと、先生の方から中東遠征の話を持ち掛けられました。みなさまご存知のとおり、ダート競馬を得意とする馬にとって3歳春はレースの選択肢がそう多くはありません。今でこそ、南関東という選択肢もありますが、JRA所属馬にとっては狭き門。デルマソトガケの時代は、半年後のユニコーンステークス、あるいは兵庫チャンピオンシップに備えるか、月に1度組まれているオープン特別競走に出走させるしか選択肢がありませんでした。幸いなことに馬は元気で調子も良いとのこと。もともと海外に対するあこがれが強く、旅行が大好きで、リタイヤ後のセカンドライフを謳歌しようとしていた私にとっては、とても魅力的なお話しでもありました。サウジダービーは松若騎手が巧みにインコースを立ち回って3着でしたが、音無先生からは「サウジアラビアのキングアブドゥルアジーズ競馬場のダートコースよりも、UAEダービーが行われるアラブ首長国連邦メイダン競馬場のダートコースの方がデルマソトガケに合っている」というお話もありましたので、密かに楽しみにしていたところ、馬はそうした期待に見事応えてくれました。私にとっては初の海外重賞制覇であると同時に、2019年4着デルマルーヴルの雪辱戦にもなりました。表彰式での感激は言葉になりません。
私が海外のレースを好むもう1つの理由は、出走馬主をとても大事にしてくれるからです。先頭の馬がゴールした次の瞬間、テレビカメラは馬主と調教師を映します。日本では考えられないことです。また、例え思い通りの結果にならなくても、アメリカでもドバイでもサウジアラビアでもレース前日にはレセプションパーティが開催され、海外の著名なオーナーと親交を深めることができます。また、ドバイでは専用の運転手まで用意していただき、まるで王様になったような気分を味わうことができました。そんな気遣いも嬉しいものです。ただ、欧州は平気でスクラッチ(出走取消)するので、そこは残念な部分でもあります、
あまり英語が得意ではない私ですが、UAEダービーの表彰式に立てたおかげで、ケンタッキーダービーのレセプションパーティでは多くの方から声を掛けていただきました。そういう場に居られることは馬主にとって最大の名誉であり、レースの勝ち負けとは別の満足感を味わう事ができました。
とくにケンタッキーダービーは町をあげてのお祭りムード。ゲートが開いてしまえば2分少々でレースは終わってしまいますが、前日の夜からとても長い時間〝ケンタッキーダービー〟を楽しむことができました。簡単な事ではないと思いますが、家族、友人とともにあの雰囲気の中にもう1度立ってみたいというのは正直な気持ちです。
言うまでもなく、日本の馬は強くなりました。これは生産者はじめ育成、調教に携わるすべての方々、そして騎乗技術などすべてがレベルアップしたからだと思います。おかげで私たちは、これまで経験したことがないステージに立つことができるようになりました。 その後、デルマソトガケは23年のブリーダーズCクラシックで2着。世界最高峰レースでも臆することなく頑張ってくれました。過去、多くの日本生産馬、日本調教馬が跳ね返され、近年では挑戦することすら無くなっていた格式高いレースで、参加する喜びだけではなく、勝ち負けの興奮を与えてくれました。レース直後は2着で満足という気持ちでしたが、やはりあそこまでいったなら、そのリベンジを果たしたいという思いがないと言えば嘘になります。しかし、現実的には今後、私がデルマソトガケを超えるような馬と巡り合う可能性はほとんどないとも考えています。ですから、もう少しこの馬と一緒に競馬を楽しみたいと思いますし、海外遠征を考えているオーナーがいらっしゃいましたら、経験されることを強くお薦めしたいと思います。
シンガポール競馬の廃止
2024年12月24日
シンガポールの競馬が10月5日の開催をもって廃止された。
シンガポールといえば、シャドウゲイトやコスモバルクが国際競走を勝ったことが日本のファンには記憶されているだろう。国際競走は2015年まで実施されていた。そこから10年経たずに廃止である。崖を転がり落ちたようなこの事態は、どのように起きたのだろうか。
筆者は現地在住だったわけではないし、各種資料を原語で読んできたわけでもない。ただ、シンガポール競馬との関わりはそれなりに持ってきた。細部まで正確ではないかもしれないが、おおむね合っているはずという形で経緯をご説明したい。
最初の躓きは2010年、シンガポール国内に2つのカジノが開業したことだ。国土の狭いシンガポールゆえカジノに行くことは簡単で、しかも彼の地のカジノは入場料があるとはいえ年間パスが設定されている。競馬がカジノに「食われた」のは自然なことだった。
問題はその先である。シンガポール政府は基本的に競馬に冷淡で、ネット投票の許可範囲は狭かった。国民の中にもオンライン賭事への嫌悪感があるようで、そのあたりは日本と事情が異なる。
焦ったシンガポールターフクラブ(STC)が打った手は縮小均衡で、「ベッティングセンター」と呼ばれる大~中規模場外発売所はそれなりに残したものの、コストカットと称して「ベッティングアウトレット」という小規模場外を、1箇所を残して閉鎖してしまった。代わりにシンガポールプールズという、宝くじやサッカーくじを販売する窓口で馬券を売るようになったのだが、買って帰るタイプの宝くじ・サッカーくじと、映像を見ながら反復的に賭ける馬券では事情が異なりすぎる。当然売り上げ減に拍車がかかった。
最終的には競馬のうち馬券発売(ウェイジャリング)部門を分離してシンガポールプールズに全面委託することとなった。競走と賭事が一体化している体制(まさにJRAのような)のほうがベターというのは世界的に競馬の常識だが、その逆をいったわけである。唯一、シンガポールプールズに移管するメリットはブックメーカーのような固定オッズの提供だったのだが、それが広がることもなく、ネット投票も広がることはなく、競馬は緩やかに衰退していった。
シンガポール競馬の廃止は宅地開発のため政府に敷地返還を要求されたというのが建前だが、ありていに言えば「政府に潰された」というのが実感に近い。
ただ、STCという組織の実力にももともと疑問符がついていた。役員クラスが中途採用で来て悪手を連発してまた転職していくようなこともあった。筆者は国際サイマル関係でSTCとやりとりしていた時期があったが、その時のウェイジャリング担当バイスプレジデントも、気が付けば居なくなっていた。
さて、皆さんが気になるのは日本でIR・カジノが広がると、同じようなことが起こりうるのかということだろう。
筆者は当面は楽観的に考えている。JRAという組織の実力とブランドは世界トップレベルのものだ。池上の東京競馬会や安田伊佐衛門の時代からこの強固なシステムを築いてきた人々に対し、競馬関係者はもっと感謝の念を持ったほうがいい。
日本ではカジノができても、そこに日々アクセスできる人口は日本人全体のごく一部である。しかも現状では入場料が設定される一方、年間パスの話は出ていない。地理+費用を考えるとギャンブル人口における「カジノ入り浸り」は僅かな比率に留まるだろう。
ただ仮に、オンラインカジノが許可されるとか、最近若者に人気のポーカーがオンライン限定でベッティングありになるとか、スポーツベッティングが合法化されるといったことが起きると話は大きく変わってくる。
この10年売り上げが増えてきたのは、スマホバブルとコロナバブルのおかけだ。申し訳ない話だが、競技の魅力が増したわけではない。ネット販売という新しい地平が広がったこその売り上げ増だが、これは競馬(に限らず公営競技)にとって神風レベルの話であり、第2弾はない。そして、スポーツベッティングなど別種目がネット上に参戦してきた場合、潮目は悪い方に大きく変わる。
可能性がいちばんあるのはスポーツベッティングだろう。水原一平氏のおかげで(?)日本のスポーツベッティング議論はいったん沈静化しているが、カジノも推進派の巌窟王的な努力の末に合法化されたわけである。将来ネット上で陣取り合戦が始まる可能性はある。競馬業界を構成するメンバーは、いまのバブルに酔うだけでなく、将来競合が現れた場合でも「大衆に選ばれる競馬」であるよう、考えていかねばなるまい。
当協会会員馬の優勝記録 ‐2024年11月-
2024年12月10日
カテゴリ:愛馬の記録
当協会会員馬の優勝記録 ‐2024年10月-
2024年11月02日
カテゴリ:愛馬の記録
繁殖馬セールが開催されました
2024年10月31日
ノーザンファームミックスセール
10月22日(火)に苫小牧のノーザンホースパークにてノーザンファームミックスセールが開催されました。
当セール第1回取引馬サトノカルナバルが大活躍中とあって今年の上場馬にも多くの人に注目されています。
10時半からスタートした当歳馬セッションでは、52頭が上場しました。
年々いい状態で上場できるようにと、
3月生まれまでのある程度成長した馬たちがこの日までに磨かれた馬体はどの馬も
これまでのセールよりグレードがアップした感があり
セール開始1頭目から活発なせり上げとなりました。
当歳の最高落札額馬は、皐月賞1着・ダービーで2着の成績を持つジャスティンミラノを半兄にもつ
上場No.21 マーゴットディドの2024(父キタサンブラック)が2億9000万円で藤田 晋氏に落札されました。
【当歳】
上場頭数 52頭
落札頭数 52頭
平均価格 68,365,385円
売却総額 3,555,000,000円
最高落札馬 No.21マーゴットディドの2024(父キタサンブラック) 290,000,000円
(税抜)
全頭が落札された当歳セッションのあとは繁殖牝馬セッションに移行し、74頭が上場。
繁殖牝馬の最高落札額馬は、グレナディアガーズを受胎中の
上場No.134 ラクアミ(父ダイワメジャー)が3800万円で(有)Winnig Horse Clubに落札されました。
【繁殖】
上場頭数 受胎馬 45頭
未供用馬 29頭
落札頭数 受胎馬 41頭
未供用馬 23頭
平均価格 受胎馬 11,609,756円
未供用馬 8,760,870円
売却総額 受胎馬 476,000,000円
未供用馬 201,500,000円
合計売上総額 4,232,500,000円
最高落札馬 No.134ラクアミ(父ダイワメジャー)グレナディアガーズ受胎 38,000,000円
(税抜)
ジェイエス繁殖馬セール
翌23日(水)には静内神森のHBA北海道市場にてジェイエス繁殖馬セールが開催されました。
過去にもない風雨の悪天候に見舞われましたが、
売却総額は前年を大きく上回る約8億5,500万円を記録する好成績でした。
今年は1歳市場の成績が良好だった影響もあってか
生産牧場の血の入れ替えを積極的に考える購買者が多くいたように思います。
今年の最高落札額取引馬は
オークス馬ダイワエルシエーロを母に持つ
上場No.89 ハルワタート(父ロードカナロア)マインドユアビスケッツ受胎 50,000,000円
(税込)で社台ファームに落札されました。
上場頭数 受胎馬 175頭
空胎馬 43頭
落札頭数 受胎馬 128頭
空胎馬 30頭
平均価格 受胎馬 5,870,391円
空胎馬 3,457,667円
売却総額 受胎馬 751,410,000円
空胎馬 103,730,000円
合計売上総額 855,140,000円
最高落札馬 No.89ハルワタート(父ロードカナロア)マインドユアビスケッツ受胎 55,000,000円
(税込)
株式会社ジェイエスは来年の1月にも冬季繁殖馬セールを開催する予定です。
詳しくは主催者ホームページをご確認ください。
カテゴリ:お知らせ・イベント













































