札幌馬主協会

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ファラオの威力

 自らの力によって可能性を広げてきたある名馬の誕生の背景には「日本」の二文字が見え隠れする。
 1996年米国ケンタッキー州。種牡馬フォーティーナイナーの、翌年からの日本供用発表後、ある構想が水面化で動き始めた。クレイボーンファームが同馬の売却益を元手として、新たな基幹種牡馬候補購入を模索し、ゲインズウェーファームで繋養のアンブライドルドの購入に踏み切ったのだ。アンブライドルドは現役時代24戦8勝。勝ち鞍の中にはケンタッキーダービー、フロリダダービー、そしてブリーダーズカップ・クラシックが含まれる。種牡馬供用後も産駒の評判が良く順風満帆の生活を送っていたのだが、繋養先が変わって4年後に疝痛を発症して敢えなく落命してしまう。
 8年間の供用で生まれた産駒は僅か582頭。その最終産駒の1頭にカリッド・アブドゥーラ王子が生産所有したエンパイアーメーカーがいる。同馬は父同様、3歳春の重要なG1戦フロリダダービーを完勝し北上。ケンタッキーダービーでは2着となったが、三冠競走最終戦ベルモントステークスで優勝。その優れた血統背景もあり種牡馬として生まれ故郷のジャドモントファームに帰ってきた。因みに同年のケンタッキーダービー優勝馬ファニーサイドの2代父がフォーティーナイナーで、ファニーサイドの二冠達成により、この父系が米国で復活することになった。
 エンパイアメーカー供用2年目の産駒であるパイオニアオブザナイルはエジプト系米国人のアーメド・ザヤットの生産馬だが、1歳セリ上場に主取りとなりザヤットの服色で走らせることになった。このせりでの主取りからG1優勝、種牡馬入りという流れは本稿の主役であるアメリカンファラオと同様で、この父子は奇跡的にリーマンショックの渦に巻き込まれたザヤットの救いの神となった。
 アメリカンファラオは2歳時にデルマーフュチュリティ、フロントランナーSの二つのG1に勝ってはいるが、ブリーダーズカップ・ジュベナイルは蹄疾患で出走を取り消している。通常であればエクリプス賞受賞は微妙な戦績だが、各レースの内容が圧勝と呼べるもので最優秀2歳牡馬のタイトルを手中に収めた。翌3歳シーズンの戦績については、改めて紹介する必要はなかろう。
 37年ぶりの三冠馬である。それゆえ現役引退後も注目を集めていた。現役時は常に前々でレースをしなければ気が済まない激しい気性の馬がであったが、牧場へ生活の場を移すと意外な一面を見せた。種牡馬入り当時に本馬を担当したアッシュフォードスタッド(注:愛国クールモアスタッドの米国分場)のリチャード・バリーは供用前の健康診断で本馬のテストステロン値が平均以上なのに、交配業務を大人しくこなす利発さに驚いたと語っている。3年後にこれも三冠馬となったジャスティファイがアッシュフォードスタッドで本馬の僚友となったが、ファンにとっては威圧感がないアメリカンファラオの好感度が上のようだ。
 初年度は214頭と交配し、翌年175頭の初産駒が米国で登録された。本馬の産駒の特徴は「歩き方を知っている」というもので放牧地での動きもそうだし、厩舎スタッフとの引運動でも無駄なく動けることにある。そうした軽く柔らかい動きは、米国育成の中心地フロリダ州オカラの馴致担当者達の信頼を得たし、ダート・芝の両方で活躍馬を出す下地にもなったのだろう。上述のジャスティファイは現役時代570kg以上あった大型馬ゆえ、産駒が重くなり過ぎないように給餌計画に注意する必要がある。一方、アメリカンファラオ産駒はそうした心配がなく中期育成で手がかからず、長所を伸ばすことだけ考えて日々管理に臨める良さがある。
 日欧米でG1馬を輩出した本馬がいよいよ2026年シーズンだけ日本で繋養される。所有するクールモアスタッドは以前、後に欧米でリーディングサイアーとなるデインヒル、サンダーガルチを日本へ送り込んだことがあるが、当時北海道の馬産地での評判はそれほど高くなかったと記憶している。そのことをクールモアスタッド本場で長年種牡馬事業に関わってきたクレム・マーフィー(故人)に聞いたことがある。「我々は2番手の馬を送り込んだのではなく、異なる日本の馬場でも通用することを証明し、そして世界全体の芝部門の統計で上位に食い込むことにより自社の種牡馬の可能性をアピールしたいのだ」と説明してくれた。
昔から米国の競馬関係者は若い種牡馬に関心が高い。それゆえ、各種牡馬事業体やセリ主催者のマーケッティングも若い種牡馬の比重が高くなりメディアも当然追随する。即ち、ベテランの粋に入りつつある種牡馬は地味な存在に見えてしまうものだ。三冠馬ブームの熱狂から解放されたアメリカンファラオは、米国で依然オーナーブリーダー、コマーシャルブリーダーの双方から認められた存在だ。そうした評価を落とさず、優れた産駒を日本でも育てる。我が国の生産者は今、大きな命題に直面している。(文中敬称略)

日本に導入されたアメリカンファラオ(写真提供/クールモア)

アメリカでも絶大なる人気を誇った(写真提供/クールモア)

11月28日、日本の地を踏んだアメリカンファラオ

門別・JBC2歳優駿から始まったブリーダーズカップ制覇への道のり

 フォーエバーヤングがブリーダーズカップ・クラシックを制覇し、大偉業を成し遂げました。サウジカップで香港最強馬ロマンチックウォリアーを差し返して勝った時も劇的勝利に感動しましたし、世界を股にかけての活躍は素晴らしいと感じます。

BCクラシックの優勝レイ

 その歴史的快挙の分岐点の一つだったのでは、と個人的に感じるのは、2戦目で出走したJBC2歳優駿です。
 11月3日の開催という時期や2歳ダート戦の番組との関係から、フォーエバーヤングが出走した2023年は申し込んだ全頭が1勝馬。結果的に15頭の申し込みに対してJRA所属馬に出走枠は5頭が用意されていたのですが、全馬横並びの抽選でした。
 3分の1の確率をかいくぐって出走枠を手にしたフォーエバーヤングはご存知の通りJBC2歳優駿を勝利。それにより12月の全日本2歳優駿への出走を確定的なものとしました。仮にJBCに出走できなくとも同時期に京都でもちの木賞(1勝クラス)が行われますが、賞金はダートグレード競走であるJBCの方が高く、全日本2歳優駿への出走にあたっては有利です。実際この年の全日本2歳優駿では、JRA2勝馬は抽選対象でした。

世界への扉となったJBC2歳優駿(写真提供/ホッカイドウ競馬)

 こうして無事、全日本2歳優駿への出走を果たしたフォーエバーヤングはレースを圧勝したことで、翌年に海外遠征という選択肢が生まれたのでした。
 もしもJBC2歳優駿に選ばれなかった場合、どんなプランBがあったのでしょうか。矢作芳人調教師はこう振り返ります。
 「当時はまだそこまで思い描いていたわけではありません。全日本2歳優駿を圧勝したあと、年明けに行った話し合いの場で、オーナーは『せっかくできたし、大井競馬場なら見に行ける』と、創設されたダート三冠への思いをお持ちでした。私も大井の人間ですし、オーナーがどうしてもとおっしゃるならそれも悪くないと思いましたが、馬のためを思って言ったのは『種牡馬価値を考えた場合、海外に行って成績を出すのと、大井で三冠を獲ることでは桁が1つ違ってきます』ということ。そこで、サウジだけ、あるいはサウジ・ドバイの結果を見て、ダメなら帰ってくればいい、ということで海外遠征が決まりました」
 こうしたローテーションの決まり方を知ると、JBC2歳優駿と全日本2歳優駿に出走して勝てたことは大きかったと感じます。強い馬は強運も持っている、と言いますが、フォーエバーヤングもそうだったのでしょう。
 BCクラシック制覇への過程として、2年連続でデルマー開催だったことも追い風となったのでは、と思います。

サウジCに向けての追切。

 たとえばその一つがレース当日の動き。1年目は競馬場内の馬房を出てから装鞍、レースへと向かう過程でフォーエバーヤングのスイッチが入るのが「少し遅い気がしました」と調教担当の荒木裕樹彦調教助手は感じていましたが、今回は然るべきタイミングでスイッチが入り、体がぎゅっと締まる感じがあったといいます。一度経験した場所、ということもあったのかもしれません。
 また、カイバについて担当の渋田康弘調教助手はこう振り返ります。
 「去年は切り草にずいぶん苦労しました。ヤングがさすがに『これはいらない』って言い出して、僕も『だよね』と答えるほど。食べやすいように糖蜜で練りこんだりしました。今年はうちの厩舎で使っている物を用意してもらえて、調整がしやすかったです」
 こちらも前年の経験を生かせました。
 ところで、渋田調教助手のフォーエバーヤングとの会話。なんだか微笑ましく感じませんか。芝を食べるのが大好きな同馬について「トレセンで歩いていると、『ねぇ、あれって芝じゃない?』ってヤングが言ってくるんだけど、『違う、色は似ているけどあれは芝じゃない』って誤魔化すんです。だって、芝だと気づいたら、ヤングは頭がいいから毎日そこで止まって食べちゃうから」というエピソードも。
 また、矢作厩舎が馬房の敷料をチップから木材をシェービングしたタイプの物に変えた時には、フォーエバーヤングとは別の担当馬が何度も寝転ぶ様子を「おー、もう1回寝転ぶんか。気持ちいいか」と微笑みながら見守っていました。
 彼特有の感性や馬との会話が私は好きで、聞くたびにほっこりします。母親のように優しく受け止めてくれるから、馬も安心して日々のトレーニングに臨めるのでは、とも感じます。
 2026年はサウジカップ連覇、そして昨年のリベンジを果たすべくドバイワールドカップへと転戦予定とのこと。世界で再び活躍する姿を楽しみにしています。

エンターテインメントとしての競馬の愉しみ方 :白井直樹氏

 はじめまして。白井直樹と申します。普段は日高町の日胆サドラーという馬具屋で店長をさせていただいております。今回、このような機会を与えていただき、感謝申し上げます。
 日胆サドラーは主に日高町とその近隣の牧場様、及び門別競馬場の厩舎関係者様へ馬具及びサプリメントの販売をしています。また、ホッカイドウ競馬観戦で門別競馬場へ来られたファンの方々へ向けて、ホッカイドウ競馬所属ジョッキーの応援グッズの開発・販売もしています。
 なぜ馬具屋が応援グッズ?と疑問に思われるかもしれませんが、これには色々な意図があります。
 まず、当店は門別競馬場に近い立地にも関わらず、馬具の専門店のため今まで競馬場へ来られた一般のファンの方々を上手く取り込むことが出来ず、また、ご来店されても売るものがあまりありませんでした。そこで、騎手のグッズを販売すればホッカイドウ競馬ファンの来店を促すことが出来るのではないかと考えたのです。
 また、私はエンタメ好きでアーティストのライブやスポーツ観戦によく行くのですが、なぜ人がこれらの場所へ行くのかと一言でいえば非現実感を楽しむためだと思っています。門別競馬場でも騎手のマフラータオルやぬいぐるみ、アクリルスタンドを身に着けたファンを増やしてエンタメ感を創り出し、来場者に特別な場所に来ていると感じて欲しいと思いました。
 昨年秋に発売したホッカイドウ競馬ジョッキーマフラータオルは開催終了までの2カ月間で400枚売れ、中には同じ騎手の物を5枚買っていった方や、全20種類を購入した熱心なファンの方もいました。
 ぬいぐるみは既に船橋競馬場で展開していたコロコロケイバ様にご協力いただき、ホッカイドウ競馬ver.を今年度開幕初日にテントを出して販売したところ、お客様の列が出来るほど大盛況でした。
 そして、今年の6月に発売したホッカイドウ競馬ジョッキーアクリルスタンドは発売3週間前にⅩで告知すると瞬く間に33,000インプレッションの反響で、発売1週間で100個売り上げました。
 個人的見解として競馬界は他のエンタメと比べてグッズ・推し活文化が浸透しておらず、他場に先駆けて行ったことがSNSの好反応や販売数につながったと思っています。
 当然競馬は馬が主役なのは間違いないのですが、ホッカイドウ競馬は冬季の未開催期間による有力馬の他場への移籍のため、スターホースが出にくいという背景があります。ならば、騎手を応援に来るスタイルの競馬場があっても良いのではないかと思うのです。タイミング良く、現在ホッカイドウ競馬ではジョッキーに焦点を当てた騎手推し計画を展開しており、企画広報グループの方にもご好評を頂いています。
 馬を扱う競技という性質上光るものや音が鳴るものはグッズにできないという注意点はありますが、これかもファンの方々が楽しめるグッズを作っていけたらと考えています。
また、マフラータオルとアクリルスタンドは日高町観光まちづくり協会様に興味を示して頂いていて、各地で行われる日高町の物産展やイベントに出品できるとのお話も頂いています。更に、令和7年に開業する富川複合施設「とみくる」内の観光エリアでの販売や日高町のふるさと納税返礼品に選定していただくことも決まりました。同協会はホッカイドウ競馬のPRにも積極的で、担当の方とは「競馬場を中心とした街づくりもいいですね。」などと雑談に花が咲きました。
さて、ここからは私の夢物語です。
 かつて日高町には日高ケンタッキーファームという観光牧場がありました。ひき馬やレッスンの乗馬を中心にパターゴルフやアーチェリー等のレジャー施設、釣り堀、レストラン、宿泊するロッジにキャンプ場、ブティックと今思い返しても夢のようなテーマパークでした。客も従業員も本当に日本中から人が来ていました。日高町(当時は門別町)と言えば日高ケンタッキーファームと言えるほどの場所でした。
 今はもうケンタッキーファームは無くなってしまいましたが、それに代わる全国から日高町に人を呼べる観光地として門別競馬場を活用できないかと思うのです。
 幸い門別競馬場には、ホームではJRA勢を返り討ちにしてしまう2歳馬のレベルの高さ、若くて技術も高い騎手とその推し活グッズ、全国的にも有名ないずみ食堂のお蕎麦と人を呼べるコンテンツは揃っていると思います。
 門別競馬場が観光地として成長し、周辺の人もお金も周りはじめ、日高町の未来も明るくなっていく。
 そんな思いを馳せながら筆を置きたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
門別競馬場へお越しの際は是非日胆サドラーにもお立ちよりください。
皆様のご来店を心よりお待ちしています。

ジョッキーのマフラータオルを巻いて応援するファンも増えた

岩橋騎手にもご来店いただきました

現役ジョッキーのアクリルスタンド

白井直樹氏

老いも若きも、ともに楽しむ競馬の風景

 今年も「札幌の夏」が始まった。北海道でも例年以上に暑い夏をすでに迎え、いつも以上に待ち遠しく思われた札幌競馬の開幕日には、あいにくの雨模様にもかかわらず前年を超える1万5千人近くの来場者を集め、大いに賑わった。

 思えば、世がコロナ禍に見舞われてから5年。それを境に、競馬場の風景も様々に変化した。無観客という最も厳しい状況に陥ったところから、「新しい日常」を模索する中で様々な工夫も行われ、それ以前とは大きく異なる地平も見えてきたように思う。

 目で見て容易にわかるのは、競馬場を訪れる客層だ。これほどまでに、毎週末の競馬場が若い人たちで溢れる様を、昭和平成の時代に誰が想像しただろう。業界の努力に加えて、世の中のトレンドの変化もあり、競馬場の客層は若返り、つれて場内の雰囲気も大きく変化した。若い競馬ファンの増加を切望していた業界にとっては、売り上げだけでなく集客の面でもコロナ禍が前向きな契機になったようだ。

札幌競馬場ではシニアシートの申込はUMAポートで行う

 一方、場内で目立たなくなった年配者たちも、ただ黙って消え去ってはいない。先に閉幕した函館競馬では、連日朝一番の開門直後には、驚くことに年配者による「開門ダッシュ」が見られた。先を競って求めるのは、65歳以上対象に用意された「シニアシート」だ。先着順に割り当てを受けられることから、それを求める年配客が開門時から来場。席数は限られており、かなり早い時刻に受け付け終了となるため、席が得られず途方に暮れる人の姿も見られた。シニアシートの運用は各競馬場により異なるが、札幌・函館ではキャッシュレス投票用カード「UMACA」保有者限定。席の受け付けは場内各所にある「UMAポート」という端末機で自ら行う必要がある。正直、デジタル機器に慣れない一部の年配者には高いハードルなのだが、それでも係員の案内に食らいつきながら何とか端末を操作し、席を獲得していく人もいて、その姿には頭が下がる。そういう人は恐らく、UMACAを使っての投票にも挑戦するだろう。誰しもが技術革新から逃れることが出来ない世の中、幅広い顧客がレベルの高いサービスを享受出来るように、時には多少強引であっても新しい技術に引き入れ、そして教導していくことも必要なことなのだろう。そういえば、朝一番でUMACA入金機に長い行列が出来ることも、最近ではよく目にするように思う。

次代を担うかもしれないスマッピー専用窓口

 UMACAの話が出たついでに、同様に馬券に関わる技術革新である「スマッピー投票」についても触れておきたい。マークカード・筆記用具の無駄遣いを防ぐ資源保護や、場内美化の観点から、マークカードに代わって各自の持つスマートフォンに買い目を入力し、画面に表示させるQRコードを使って馬券を購入する仕組みがこのスマッピー投票。現場の実情を見ると、「馬券はマークカードで買うもの」という意識が浸透しているからか、まだまだマークカードの設置場所には人だかりが出来、場所によっては取り落とされたカードが散乱している様も見られる。デジタル機器の扱いには慣れているはずの若者の多くが未だマークカードを使っているのを目にすると、1990年からもう35年も続いてきた「マークカードで馬券を買う」という競馬場の風景を変えるのには、意外と手間と時間がかかるのだなと感じている。

 私が講師を担当している初心者向けの競馬教室・ビギナーズセミナーでは、若い方には「回転寿司屋で伝票を書いて注文する店などもうない」、年配の方には「自分は老眼でマークカードは見えず、よく買い間違う」などと話して共感を勝ち取りつつ、利用を慫慂している。半信半疑でも使い始めた人は、100%その後もスマッピーを利用する。それほどまでに使い勝手が良く、書き間違いのリスクもなく、更に資源保護に貢献しているという心理的な安心感のようなものもあるのだろう。

 すでに、JRAでは全ての券売機でスマッピーが利用できるようになっており、また札幌競馬場では、ファンファーレホールから少し奥に行ったところには「スマッピー専用窓口」、つまりマークカードが使えずスマッピーのQRコードでのみ馬券が買える券売機が何台か設定されている。この専用窓口は、ピーク時でもすいていて馬券購入もスムーズ。今年の夏は、このスマッピー線用窓口にも多くの人々が並ぶよう、重ねて慫慂して行ければと思っている。

 最後に、コロナ禍以降最も変化した競馬場の風景を挙げておきたい。それは、レース前のファンファーレのあと場内を包む拍手。コロナ禍の最中、声を出して物事に応援や感謝の気持ちを表すことが出来なかったとき、それに代わって行われるようになった新たな習慣は、ポストコロナの競馬シーンにおいては、競技や(競走馬も含めた)競技者に対する敬意や期待感の表れとして定着した。重賞レースのみならず、朝の1レースから夕方の最終レースまで、全てのレースでファンファーレのあとに鳴り響く拍手の音が醸し出す雰囲気は素晴らしく、老いも若きも問わず、全ての観衆が一体となり楽しむ競馬を象徴する風景を演出している。

 このあと、札幌競馬終盤、そしてそのあと競馬が最も盛り上がる秋の競馬シーンにおいて、来場客からの喝采にふさわしいレースが展開されることを、願ってやまない。

発走前の拍手は競馬場の新しい風景となった

永年馬主表彰受賞に際して :有限会社日東牧場 鎌田博子氏

 おかげさまを持ちまして昨年、有限会社日東牧場は日本中央競馬会様より50年の永年馬主表彰を授与されました。このような表彰制度がある事はまったく認識していなかったために大変驚きましたが、長くオーナーブリーダーを続けることが出来たのは、たくさんの方々に応援していただいたおかげと感謝しています。日本中央競馬会様、会場をお貸しいただいた札幌競馬場の方々はじめ、牧場を支えてくださったすべての方に、この場を借りて御礼申し上げます。また、今年に入ってから生産、所有馬のニットウバジルが2勝クラス戦、3勝クラスの春風ステークスを連勝することが出来ました。高橋文雅調教師はじめ、関係者の方々にも、感謝申し上げます。そして、今回このような機会をいただきました札幌馬主協会の方々にも深謝いたします。
 日東牧場は、戦後間もない頃に開場した鎌田三郎牧場をその前身とします。私が、早来町の吉田牧場から亡夫の昌平のもとへと嫁いできたのは昭和30年。21歳の時でした。ちょうど70年前の事です。
 トサミツルが桜花賞を勝ったのは昭和25年、クインナルビーが天皇賞を勝ったのは昭和28年ですから、私が鎌田の家に入る前の出来事でした。しかし、牧場に戻ったクインナルビーはオグリキャップの5代母となっています。クインナルビーの血を受け継ぐ馬が、今でも多くの方に愛されていると聞いて、嬉しく思います。これは義父の三郎から聞いた話ですが、クインナルビーという名前は「クインになる日」が、その語源だそうです。馬主さんは愛馬が女王になる日を楽しみに、そう名付けたそうです。
 それから、昭和48年にはニットウチドリが桜花賞を勝ってくれました。オーナーブリーダーとしては初めて大きなタイトルを牧場にもたらしてくれた馬ですが、この馬は、幼少期を私の実家である吉田牧場で過ごしていました。ジョッキーをしていた実弟の晴雄(*吉田晴雄氏)が調教を付けていたこともあって、なおさら嬉しかったです。
 レース当日、三郎は阪神競馬場へと足を運んでいましたが、昌平はテレビがある静内の知り合い家にレースを見に行っていました。当時、浦河町ではテレビの放送がなく、ラジオたんぱによるラジオ実況中継しかなかったのです。
 放送といえば、ニットウバジルがまだ2勝クラスの頃ですが、実況アナウンサーがニットウバジルのことを、ニットウスバルと言い間違えたことがありました。そのアナウンサーの方には申し訳ない話ですが、ずいぶんと前(ニットウスバルは2019にJRAを抹消)に引退した馬の事を覚えていてくださったことが、私たちにしてみれば、とても嬉しかったです。
 50年という時間の中では、良い事もあれば、そうでない事もたくさんありました。私は子供の時から馬には触らせてもらえませんでしたので、お話しできるような事はあまりないのですが、当時、家族総出で行っていた乾燥牧草づくりは、そのほとんどが手作業で行っていたこともあって、大変ではありましたが、今となっては良い思い出です。
 夫の昌平は、とても優しい人でしたが、あまり体が丈夫ではありませんでした。そういう意味で言えば体が丈夫で働きものだった義父と比べられて気の毒な面があったと思います。だから、義父も、夫も、子供(昌俊氏)には「無理に牧場を継がなくても良い」と言い、現在は違う道を歩んでおります。しかし、幸いなことにたくさんの方々のご支援で、現在まで過不足なく牧場を続けてくることが出来ました。
 今は、孫のように育てた2人の従業員が牧場の仕事をやってくれています。繁殖牝馬4頭。今年は残念ながら1頭が流産してしまいましたが、無事に3頭の当歳馬をもうけることが出来ました。私は社長とはいえ、馬の事は従業員が、経理的な事は子供たちがやってくれていますので、安心して日々の暮らしを楽しんでおります。
 コロナ以降、年齢的なこともあってなかなか競馬場に行く機会が持てませんが、札幌馬主協会が行う会員懇親会や、研修旅行にはなるべく参加させてもらうようにしています。年代を同じくする懐かしい方々と、実際にお逢い出来ることが、何よりの楽しみになっています。そのような機会を設けていただいていることも感謝しかありません。
 再来年(2027年)は、義父三郎が浦河の常磐町に移住して100年だそうです。これからも謙虚と感謝を忘れずに日々を過ごしていきたいと思いますし。今年生まれた3頭の馬が3歳、4歳、5歳と長く、元気に走ってくれること。それが今の私の1番の望みです。

札幌競馬場で行われた永年馬主表彰

2025年3月の春風ステークスを制したニットウバジル

「私も今年70歳、馬主歴は38年」 :北所直人氏

 今年4月30日で70歳になり、馬主歴も38年になりました。
 このコーナー掲載も、今回で3回目となり、1回目55歳(2011年4月)。2回目66歳(2021年6月)。
 昨年は札幌開催で、同じく札幌馬主協会会員の高村伸一牧場生産のペイシャエスがエルムステークスを優勝しました。

 3月4日現在、JRAで私は50頭の登録馬がいます。
 その中には6頭の平地・障害のオープン馬、ペイシャエス、キタノエクスプレス、キタノリューオー、ペイシャフラワー、ペイシャケイプ、キタノブレイドと、2頭の準オープン馬、キタノズエッジ、キタノソワレ、3頭の2勝馬、ペイシャカレン、キタノブライド、ペイシャスウィフトなどがおり、他にも楽しみな馬たちがスタンバイしています。
 また、元JRAオープン馬のキタノヴィジョンは、昨年の交流重賞・南部杯で3着と健闘し、今年2月に大井競馬場に移籍。今後の地方での活躍が楽しみです。
 毎年1歳馬を45頭前後購入し、基本全馬JRAに入厩予定です。
 前回も掲載させて頂きましたが、調教施設も充実し、屋内800mダート坂路、屋内600mダート坂路、屋内800mダートトラック、屋内500坪の屋内運動場、ウォーキングマシン3台、体重計3台、練習用ゲートがあり、天候に左右されず、計画通りの調教を行えるようになっていて、馬房数は58。施設の使い方のノウハウも年々確立してきて、少しずつ当ファームは進化しています。
 特に屋内800mダート坂路を使い始めてから、より強い調教が可能となり、馬の走法が大きくなって馬体に逞しさと精悍さが出てきたので、これまで以上に所有馬の活躍が楽しみです。
 現在、私が重要視しているのは雇用問題です。日本中の企業が人手不足に悩まされていて、外国人の雇用が必要となっています。
 競馬産業も例外ではなく、当社も13人の外国人スタッフを雇用しており、外国人スタッフは生活習慣、言葉の問題等の違いがあります。当社に入社後は、最初に「おはようございます」「こんにちは」「お疲れ様です」「おやすみなさい」の4つの挨拶の言葉を習慣づけるようにしています。
 そして 月1回勉強会を開催、数やカタカナ等々の読み方を勉強してもらい、過去には警察職員に生活指導をしてもらう取り組みもしました。
そうして問題を少しずつクリアする事で、外国人スタッフが調教・厩舎作業等をスムーズに進められるようになってきました。 最近は猛暑日が続くので、夏までに快適に生活してもらうよう、社宅の全てにエアコンの設置を計画しています。
 外国人雇用が必要となる時代を見据えて、後継者の北所拓也(専務)にはアメリカ・イギリスでの研修を積ませ、帰国後外国人スタッフを含めた当ファームのリーダーとして、外国経験をいかしながら、仕事の指示や生活面のサポートをしています。

 例年通り、今年もセリでは30頭の購買を予定しています。70歳の私、専務、牧場スタッフと各セリ市場で、購買予定の1歳馬を見ながら一日を過ごす事が毎年の楽しみであり、今年も楽しみにしています。
 また、所有馬の活躍を家族と日々応援するのも、私の楽しみとなっています。

 私は、楽しみながら人生を歩んでいます。

キタジョファーム全景。左から800㍍屋内ダート坂路。600㍍屋内ダート坂路。800㍍屋内ダートトラック。

「2025年フレッシュマンサイヤー検証」

 初年度産駒が2025年にデビューするフレッシュマンサイヤーの検証をお届けしたい。それはすなわち、一連の2歳トレーニングセールに産駒が初めて登場する種牡馬の考察を意味する。北米では3月11日からのOBS3月セール、欧州では4月16日からのタタソールズ・クレイヴンセールを皮切りに、今年の2歳セール・サーキットが開幕するが、ご購買をご検討の皆様の参考になれば幸いである。
 米国供用馬で、初年度(22年)の種付け料が最も高かったのは、ダーレーにて7万50000ドル(約1178万円)で供用されたエッセンシャルクオリティ(父タピット)だった。2歳時にG1ブリーダーズCジュヴェナイル(ダート8・5F)を含む2つのG1を制して最優秀2歳牡馬となり、3歳時にもG1トラヴァーズS(ダート10F)など2つのG1を制して最優秀3歳牡馬になるという、輝かしい戦績をあげた同馬。24年に北半球で開催された1歳市場では、68頭の初年度産駒が種付け料の約2・4倍となる平均価格18万0591ドル(約2835万円)で購買され、マーケットの評価も上々だった。ちなみに、同年のJRHAセレクトセールに上場された父エッセンシャルクオリティ・母レッドラークの1歳牡馬は、9200万円で購買されている。
マーケットにおける評価がさらに高いのが、ヒルンデイル・ファームスにて種付け料5万ドル(約785万円)でスタッドインしたシャーラタン(父スパイツタウン)だ。22年のファシグテイプトン・ノヴェンバーに上場されたシャーラタン受胎牝馬7頭のうち、5頭が平均価格52万7千ドル(約8274万)で購買されて関係者の注目を集めると、24年の北半球における1歳市場では、3頭のシャーラタン初年度産駒がミリオンを越える価格で購買され、平均価格は種付け料の5倍近い24万8627ドル(3903万円)に達するという、好調な売れ行きを示した。現役時代の同馬は、球節に不安を抱えていたため5戦したのみだったが、6馬身差で制したG1アーカンソーダービー(ダート9F)、7か月半の休み明けだったにも関わらず4馬身半差で制したG1マリブS(ダート7F)など4勝をマーク。その圧倒的なスピード能力は、種牡馬としての大きな魅力となっている。また、北米供用馬では、24年の1歳市場における初年度産駒の平均価格が、初年度種付け料(4万ドル=約628万円の5倍近い19万7589ドル(約3102万円)に達した売却率も83.2%という上々の数字をマークしたマックスフィールド(父ストリートセンス)も、注目の若手種牡馬と言えよう。
 22年に欧州でスタッドインした新種牡馬で、マーケットで長打を連発しているのが、クールモアスタッドにて6万5000ユーロ(約1047万円)で種牡馬入りしたセントマークスバシリカ(父シユーニ)だ。22年のタタソールズ・ディセンバーで、セントマークスバシリカを受胎しての上場だった重賞入着馬ラヴイズユーが140万ギニー(2億8280万円)で、同じくセントマークスバシリカを受胎しての上場だった重賞勝ち馬の母アーチエンジェルガブリエルが80万ギニー(約1億6160万円)で購買され、関係者の注目を集めた後、初年度産駒が1歳となった24年、アルカナ・オーガストに上場された母プルデンジアの牝馬が170万ユーロ(約2億7370万円)、タタソールズ・オクトーバーに上場された母ロンジナの牡馬が95万ギニー(約1億9190万円)で購買されるなど、高評価を受ける初年度産駒が複数出現。購買された58頭の平均価格も19万8552ギニー(約4011万円)という、高い水準に達している。2歳から3歳にかけて7Fから10.5FのG1を5勝し、3歳時には無敗で欧州年度代表馬の就いた同馬。産駒のデビューが楽しみな種牡馬であることは、間違いない。
 欧州供用の新種牡馬で、穴馬的な存在をあげるとすれば、ヴィクタールドラム(父シャマーダル)になろうか。2歳時にG1ジャンルクラガルデル賞(芝1600m)、3歳時にG1仏二千ギニー(芝1600m)を制した後、ロジ牧場で種牡馬入りした同馬。初年度の種付け料は1万5000ユーロ(約242万円)と、さほど高額ではなかったが、24年のアルカナ・オーガストに上場された母リリエンブルームの牡馬が42万ユーロ(約6762万円)で、同年のアルカナ・オクトーバーに上場された母アラカナの牡馬が同じく42万ユーロという高値で購買され、ロングヒッターぶりを見せつけた。1歳市場における初年度産駒の売却率も83.75%と高く、注目度が急上昇している若手種牡馬と言えよう。欧州では、ダルハムホールスタッドにて5万5000ポンド(約1051万円)で供用されたパレスピーア(父キングマン)も注目の1頭だ。現役時代の成績は11戦9勝。3歳、4歳時に連覇したG1ジャックルマロワ賞(芝1600m)を含めて5つのG1を制した同馬。24年の1歳市場では、目を引くような高額で購買される馬は現れなかったが、交配された牝馬のうち上質なものの多くはマクトゥーム家による所有馬だったため、そうした牝馬の産駒は市場には出てこなかったというのが実情だ。キングマンの直仔は日本でも動いており、その後継馬としてのパレスピーアは、日本人も充分にマークする必要がありそうだ。
(*編集部注/1㌦=157円、1ユーロ=161円、1ギニー=202円、1ポンド=191円で計算)

 

小さな競馬場のJBCと“うまてなし”

 2024年、佐賀競馬場で初めてJBCが開催されました。馬産地・九州で唯一生き残った地方競馬場は、1周1100㍍のコンパクトな空間。馬券発売を行うJRAのG1デーは多くの来場者はあるものの、現地でJBC級の大レースが行われるのは初めてでした。

九州地区唯一の競馬場でJBC競走が行われました

「うまてなし」のひとつが県内生産の日本酒バーでした

 そこで、事前に様々なイベントに合わせてシミュレーションを実施してきました。その一つはウマ娘イベント。アニメやゲームが人気で、地方競馬場でイベントを行うと限定ノベルティ目当てに徹夜組も続出する人気コンテンツです。

 佐賀競馬でもJBCの約1年前にウマ娘イベントがあった際、多くの来場者を見込んで九州新幹線・新鳥栖駅から初めてシャトルバスを運行。これまで友の会バスという名でJR久留米駅から1台の有料バスを走らせていましたが、県外から多くの来場が見込まれるJBCではより競馬場にも博多にも近い新鳥栖駅の方が利便性が上がります。そこで、ウマ娘イベント来場者へのサービスをしつつ、バスのシフトやロータリーの使い方などをシミュレーションすることができました。また、場内の売店・食堂では500円以上購入者にウマ娘オリジナルポストカードをプレゼント。店側は普段と異なる多くの来場者への対応を経験したのでした。

 このように万全の準備を行って迎えた当日。馬主席では佐賀ならではの“うまてなし”が行われました。馬主のみなさんが普段訪れるJRAの競馬場のような立派な設備はありませんが、少しでも快適に過ごしていただこうと、馬主エリア入り口では嬉野茶のおもてなしカウンターが登場。佐賀県名産の緑茶をその場で淹れたててでいただくことができました。また、「鍋島」などに代表される県内の地酒が飲めるバー、呼子町で有名ないかしゅうまいのせんべいや、ご当地菓子・ブラックモンブランなど小腹を満たせるお菓子も用意。温かくて心のこもったおもてなしを行いました。

「レディスクラシック」を逃げ切りタケシコールに応える横山騎手

惜敗を重ねてきた古豪が「スプリント」で初の戴冠

 日が傾きかけた頃、JBC佐賀の開幕戦として行われたJBCレディスクラシックはアンモシエラが勝利。約1カ月前に砂が補充され、普段よりも約2頭分、内を空けて走るレースが多く見られたのですが、同馬は先手を取って早めから後続との差を広げると、3~4コーナーは深いとされる内ラチ沿いに進路を取り、直線で再び走りやすい馬場の真ん中に横山武史騎手が誘導しました。

 その進路取りについて「ギャンブルだったんですけど、内外の差を使って後続を離せれればと考えました」と横山騎手。生産した桑田牧場代表の桑田美智代氏は「初めてのG1勝利で、信じられないくらい嬉しいです」と喜びました。

 JBCスプリントは直線の追い比べを制したタガノビューティがこちらもG1/Jpn1初制覇。追い込み脚質の同馬にとって、地方競馬場で行われるダートグレード競走はコース形態やレース展開が向かないことも多く、幾度となく苦汁を飲んできましたが、大舞台で雪辱を果たしました。

 メインレースとなるJBCクラシックはウィルソンテソーロが制覇。勝負所で先頭集団の5~6頭が密集する中、3コーナーで内を突いて一気に抜け出す脚は素晴らしく、先頭で迎えた直線は大歓声に包まれました。鞍上の気迫も伝わってくる騎乗で、川田将雅騎手は佐賀競馬場で生まれ育った、いわば地元のヒーロー。

「クラシック」はウィルソンテソーロの独走で幕を閉じた

生まれ故郷に錦を飾った川田騎手

 ウイニングランでは温かい拍手に包まれ、さぁ表彰式へという時。スタンドの熱気からほんの少し空間を隔てた検量室前で静かに、だけど嬉しそうに立っていたのは川田騎手の父・孝好調教師でした。佐賀の調教師で、当レースに管理馬の出走はありませんでしたが、息子の勇姿を見守っていたのでした。

「おめでとうございます」

シンプルなひと言をお伝えすると、目尻を下げて「ありがとうございます」と喜ぶ川田調教師の様子から、佐賀競馬初開催のJBCを盛り上げたい並々ならぬ思いが川田家にあったんだろうなと感じました。

 生産はリョーケンファーム株式会社。表彰式で馬主の了徳寺健二オーナーは「ウィルソンテソーロは北海道に作った牧場の第一期生で感慨ひとしおです」と話しました。

 ウィルソンテソーロの勝利により最大の盛り上がりを見せたJBC佐賀。JBCクラシックの売得金21億1239万9800円は佐賀競馬の1レース売り上げレコードでした。さらに、全国から1万2386名の入場者が詰めかけた1日の売得金55億9140万3800円も1日の売り上げレコード。九州の小さな競馬場が、大きな歴史の1ページを刻んだ一日となりました。

大恵陽子氏

海外競馬の愉しみ方 :浅沼博幸氏

 幸運なことに、今年もまた愛馬デルマソトガケとともに米国ブリーダーズカップに参加することができました。期待したほどの結果は残せませんでしたが、音無秀孝調教師はじめ関わってくれたすべてのスタッフ、騎乗してくれたC・ルメール騎手には深く感謝したいと思います。この場を借りて、御礼申し上げます。

 今回のブリーダーズカップは、デルマソトガケにとっては7度目の海外重賞挑戦でした。14戦目、彼の競走人生においてはちょうど半数が海外での競馬となります。「なぜ、海外で出走させるのか」という事を、よく聞かれます。

 その理由は1つではありませんが、最も大きな理由は、デルマソトガケは日本のダートコースよりも、海外のダートコースの方が能力を発揮できると、音無先生が判断してくださったからです。一昨年暮れに、全日本2歳優駿を勝たせてもらったあと、先生の方から中東遠征の話を持ち掛けられました。みなさまご存知のとおり、ダート競馬を得意とする馬にとって3歳春はレースの選択肢がそう多くはありません。今でこそ、南関東という選択肢もありますが、JRA所属馬にとっては狭き門。デルマソトガケの時代は、半年後のユニコーンステークス、あるいは兵庫チャンピオンシップに備えるか、月に1度組まれているオープン特別競走に出走させるしか選択肢がありませんでした。幸いなことに馬は元気で調子も良いとのこと。もともと海外に対するあこがれが強く、旅行が大好きで、リタイヤ後のセカンドライフを謳歌しようとしていた私にとっては、とても魅力的なお話しでもありました。サウジダービーは松若騎手が巧みにインコースを立ち回って3着でしたが、音無先生からは「サウジアラビアのキングアブドゥルアジーズ競馬場のダートコースよりも、UAEダービーが行われるアラブ首長国連邦メイダン競馬場のダートコースの方がデルマソトガケに合っている」というお話もありましたので、密かに楽しみにしていたところ、馬はそうした期待に見事応えてくれました。私にとっては初の海外重賞制覇であると同時に、2019年4着デルマルーヴルの雪辱戦にもなりました。表彰式での感激は言葉になりません。

パドックを周回するデルマソトガケ

 私が海外のレースを好むもう1つの理由は、出走馬主をとても大事にしてくれるからです。先頭の馬がゴールした次の瞬間、テレビカメラは馬主と調教師を映します。日本では考えられないことです。また、例え思い通りの結果にならなくても、アメリカでもドバイでもサウジアラビアでもレース前日にはレセプションパーティが開催され、海外の著名なオーナーと親交を深めることができます。また、ドバイでは専用の運転手まで用意していただき、まるで王様になったような気分を味わうことができました。そんな気遣いも嬉しいものです。ただ、欧州は平気でスクラッチ(出走取消)するので、そこは残念な部分でもあります、

 あまり英語が得意ではない私ですが、UAEダービーの表彰式に立てたおかげで、ケンタッキーダービーのレセプションパーティでは多くの方から声を掛けていただきました。そういう場に居られることは馬主にとって最大の名誉であり、レースの勝ち負けとは別の満足感を味わう事ができました。 

 とくにケンタッキーダービーは町をあげてのお祭りムード。ゲートが開いてしまえば2分少々でレースは終わってしまいますが、前日の夜からとても長い時間〝ケンタッキーダービー〟を楽しむことができました。簡単な事ではないと思いますが、家族、友人とともにあの雰囲気の中にもう1度立ってみたいというのは正直な気持ちです。

 言うまでもなく、日本の馬は強くなりました。これは生産者はじめ育成、調教に携わるすべての方々、そして騎乗技術などすべてがレベルアップしたからだと思います。おかげで私たちは、これまで経験したことがないステージに立つことができるようになりました。 その後、デルマソトガケは23年のブリーダーズCクラシックで2着。世界最高峰レースでも臆することなく頑張ってくれました。過去、多くの日本生産馬、日本調教馬が跳ね返され、近年では挑戦することすら無くなっていた格式高いレースで、参加する喜びだけではなく、勝ち負けの興奮を与えてくれました。レース直後は2着で満足という気持ちでしたが、やはりあそこまでいったなら、そのリベンジを果たしたいという思いがないと言えば嘘になります。しかし、現実的には今後、私がデルマソトガケを超えるような馬と巡り合う可能性はほとんどないとも考えています。ですから、もう少しこの馬と一緒に競馬を楽しみたいと思いますし、海外遠征を考えているオーナーがいらっしゃいましたら、経験されることを強くお薦めしたいと思います。

デルマー競馬場にて

ブリーダーズCが行われたデルマー競馬場馬主席からコースを臨む

武豊騎手と

シンガポール競馬の廃止

 シンガポールの競馬が10月5日の開催をもって廃止された。

 シンガポールといえば、シャドウゲイトやコスモバルクが国際競走を勝ったことが日本のファンには記憶されているだろう。国際競走は2015年まで実施されていた。そこから10年経たずに廃止である。崖を転がり落ちたようなこの事態は、どのように起きたのだろうか。

 筆者は現地在住だったわけではないし、各種資料を原語で読んできたわけでもない。ただ、シンガポール競馬との関わりはそれなりに持ってきた。細部まで正確ではないかもしれないが、おおむね合っているはずという形で経緯をご説明したい。

180年の歴史に終止符を打ったシンガポールターフクラブ

シンガポール唯一のクランジ競馬場

 最初の躓きは2010年、シンガポール国内に2つのカジノが開業したことだ。国土の狭いシンガポールゆえカジノに行くことは簡単で、しかも彼の地のカジノは入場料があるとはいえ年間パスが設定されている。競馬がカジノに「食われた」のは自然なことだった。

 問題はその先である。シンガポール政府は基本的に競馬に冷淡で、ネット投票の許可範囲は狭かった。国民の中にもオンライン賭事への嫌悪感があるようで、そのあたりは日本と事情が異なる。

 焦ったシンガポールターフクラブ(STC)が打った手は縮小均衡で、「ベッティングセンター」と呼ばれる大~中規模場外発売所はそれなりに残したものの、コストカットと称して「ベッティングアウトレット」という小規模場外を、1箇所を残して閉鎖してしまった。代わりにシンガポールプールズという、宝くじやサッカーくじを販売する窓口で馬券を売るようになったのだが、買って帰るタイプの宝くじ・サッカーくじと、映像を見ながら反復的に賭ける馬券では事情が異なりすぎる。当然売り上げ減に拍車がかかった。

 最終的には競馬のうち馬券発売(ウェイジャリング)部門を分離してシンガポールプールズに全面委託することとなった。競走と賭事が一体化している体制(まさにJRAのような)のほうがベターというのは世界的に競馬の常識だが、その逆をいったわけである。唯一、シンガポールプールズに移管するメリットはブックメーカーのような固定オッズの提供だったのだが、それが広がることもなく、ネット投票も広がることはなく、競馬は緩やかに衰退していった。

パドックから本馬場へ向かう

幾多の熱戦が繰り広げられた競馬場跡地は政府に返還されるという

 シンガポール競馬の廃止は宅地開発のため政府に敷地返還を要求されたというのが建前だが、ありていに言えば「政府に潰された」というのが実感に近い。

 ただ、STCという組織の実力にももともと疑問符がついていた。役員クラスが中途採用で来て悪手を連発してまた転職していくようなこともあった。筆者は国際サイマル関係でSTCとやりとりしていた時期があったが、その時のウェイジャリング担当バイスプレジデントも、気が付けば居なくなっていた。

競馬場内では多くのファンが馬券を楽しんでいたが

ここ数年は、入場者数の減少に悩まされていたという

 さて、皆さんが気になるのは日本でIR・カジノが広がると、同じようなことが起こりうるのかということだろう。

 筆者は当面は楽観的に考えている。JRAという組織の実力とブランドは世界トップレベルのものだ。池上の東京競馬会や安田伊佐衛門の時代からこの強固なシステムを築いてきた人々に対し、競馬関係者はもっと感謝の念を持ったほうがいい。

 日本ではカジノができても、そこに日々アクセスできる人口は日本人全体のごく一部である。しかも現状では入場料が設定される一方、年間パスの話は出ていない。地理+費用を考えるとギャンブル人口における「カジノ入り浸り」は僅かな比率に留まるだろう。

 ただ仮に、オンラインカジノが許可されるとか、最近若者に人気のポーカーがオンライン限定でベッティングありになるとか、スポーツベッティングが合法化されるといったことが起きると話は大きく変わってくる。

 この10年売り上げが増えてきたのは、スマホバブルとコロナバブルのおかけだ。申し訳ない話だが、競技の魅力が増したわけではない。ネット販売という新しい地平が広がったこその売り上げ増だが、これは競馬(に限らず公営競技)にとって神風レベルの話であり、第2弾はない。そして、スポーツベッティングなど別種目がネット上に参戦してきた場合、潮目は悪い方に大きく変わる。

 可能性がいちばんあるのはスポーツベッティングだろう。水原一平氏のおかげで(?)日本のスポーツベッティング議論はいったん沈静化しているが、カジノも推進派の巌窟王的な努力の末に合法化されたわけである。将来ネット上で陣取り合戦が始まる可能性はある。競馬業界を構成するメンバーは、いまのバブルに酔うだけでなく、将来競合が現れた場合でも「大衆に選ばれる競馬」であるよう、考えていかねばなるまい。

 

須田鷹雄氏