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ファラオの威力

 自らの力によって可能性を広げてきたある名馬の誕生の背景には「日本」の二文字が見え隠れする。
 1996年米国ケンタッキー州。種牡馬フォーティーナイナーの、翌年からの日本供用発表後、ある構想が水面化で動き始めた。クレイボーンファームが同馬の売却益を元手として、新たな基幹種牡馬候補購入を模索し、ゲインズウェーファームで繋養のアンブライドルドの購入に踏み切ったのだ。アンブライドルドは現役時代24戦8勝。勝ち鞍の中にはケンタッキーダービー、フロリダダービー、そしてブリーダーズカップ・クラシックが含まれる。種牡馬供用後も産駒の評判が良く順風満帆の生活を送っていたのだが、繋養先が変わって4年後に疝痛を発症して敢えなく落命してしまう。
 8年間の供用で生まれた産駒は僅か582頭。その最終産駒の1頭にカリッド・アブドゥーラ王子が生産所有したエンパイアーメーカーがいる。同馬は父同様、3歳春の重要なG1戦フロリダダービーを完勝し北上。ケンタッキーダービーでは2着となったが、三冠競走最終戦ベルモントステークスで優勝。その優れた血統背景もあり種牡馬として生まれ故郷のジャドモントファームに帰ってきた。因みに同年のケンタッキーダービー優勝馬ファニーサイドの2代父がフォーティーナイナーで、ファニーサイドの二冠達成により、この父系が米国で復活することになった。
 エンパイアメーカー供用2年目の産駒であるパイオニアオブザナイルはエジプト系米国人のアーメド・ザヤットの生産馬だが、1歳セリ上場に主取りとなりザヤットの服色で走らせることになった。このせりでの主取りからG1優勝、種牡馬入りという流れは本稿の主役であるアメリカンファラオと同様で、この父子は奇跡的にリーマンショックの渦に巻き込まれたザヤットの救いの神となった。
 アメリカンファラオは2歳時にデルマーフュチュリティ、フロントランナーSの二つのG1に勝ってはいるが、ブリーダーズカップ・ジュベナイルは蹄疾患で出走を取り消している。通常であればエクリプス賞受賞は微妙な戦績だが、各レースの内容が圧勝と呼べるもので最優秀2歳牡馬のタイトルを手中に収めた。翌3歳シーズンの戦績については、改めて紹介する必要はなかろう。
 37年ぶりの三冠馬である。それゆえ現役引退後も注目を集めていた。現役時は常に前々でレースをしなければ気が済まない激しい気性の馬がであったが、牧場へ生活の場を移すと意外な一面を見せた。種牡馬入り当時に本馬を担当したアッシュフォードスタッド(注:愛国クールモアスタッドの米国分場)のリチャード・バリーは供用前の健康診断で本馬のテストステロン値が平均以上なのに、交配業務を大人しくこなす利発さに驚いたと語っている。3年後にこれも三冠馬となったジャスティファイがアッシュフォードスタッドで本馬の僚友となったが、ファンにとっては威圧感がないアメリカンファラオの好感度が上のようだ。
 初年度は214頭と交配し、翌年175頭の初産駒が米国で登録された。本馬の産駒の特徴は「歩き方を知っている」というもので放牧地での動きもそうだし、厩舎スタッフとの引運動でも無駄なく動けることにある。そうした軽く柔らかい動きは、米国育成の中心地フロリダ州オカラの馴致担当者達の信頼を得たし、ダート・芝の両方で活躍馬を出す下地にもなったのだろう。上述のジャスティファイは現役時代570kg以上あった大型馬ゆえ、産駒が重くなり過ぎないように給餌計画に注意する必要がある。一方、アメリカンファラオ産駒はそうした心配がなく中期育成で手がかからず、長所を伸ばすことだけ考えて日々管理に臨める良さがある。
 日欧米でG1馬を輩出した本馬がいよいよ2026年シーズンだけ日本で繋養される。所有するクールモアスタッドは以前、後に欧米でリーディングサイアーとなるデインヒル、サンダーガルチを日本へ送り込んだことがあるが、当時北海道の馬産地での評判はそれほど高くなかったと記憶している。そのことをクールモアスタッド本場で長年種牡馬事業に関わってきたクレム・マーフィー(故人)に聞いたことがある。「我々は2番手の馬を送り込んだのではなく、異なる日本の馬場でも通用することを証明し、そして世界全体の芝部門の統計で上位に食い込むことにより自社の種牡馬の可能性をアピールしたいのだ」と説明してくれた。
昔から米国の競馬関係者は若い種牡馬に関心が高い。それゆえ、各種牡馬事業体やセリ主催者のマーケッティングも若い種牡馬の比重が高くなりメディアも当然追随する。即ち、ベテランの粋に入りつつある種牡馬は地味な存在に見えてしまうものだ。三冠馬ブームの熱狂から解放されたアメリカンファラオは、米国で依然オーナーブリーダー、コマーシャルブリーダーの双方から認められた存在だ。そうした評価を落とさず、優れた産駒を日本でも育てる。我が国の生産者は今、大きな命題に直面している。(文中敬称略)

日本に導入されたアメリカンファラオ(写真提供/クールモア)

アメリカでも絶大なる人気を誇った(写真提供/クールモア)

11月28日、日本の地を踏んだアメリカンファラオ

門別・JBC2歳優駿から始まったブリーダーズカップ制覇への道のり

 フォーエバーヤングがブリーダーズカップ・クラシックを制覇し、大偉業を成し遂げました。サウジカップで香港最強馬ロマンチックウォリアーを差し返して勝った時も劇的勝利に感動しましたし、世界を股にかけての活躍は素晴らしいと感じます。

BCクラシックの優勝レイ

 その歴史的快挙の分岐点の一つだったのでは、と個人的に感じるのは、2戦目で出走したJBC2歳優駿です。
 11月3日の開催という時期や2歳ダート戦の番組との関係から、フォーエバーヤングが出走した2023年は申し込んだ全頭が1勝馬。結果的に15頭の申し込みに対してJRA所属馬に出走枠は5頭が用意されていたのですが、全馬横並びの抽選でした。
 3分の1の確率をかいくぐって出走枠を手にしたフォーエバーヤングはご存知の通りJBC2歳優駿を勝利。それにより12月の全日本2歳優駿への出走を確定的なものとしました。仮にJBCに出走できなくとも同時期に京都でもちの木賞(1勝クラス)が行われますが、賞金はダートグレード競走であるJBCの方が高く、全日本2歳優駿への出走にあたっては有利です。実際この年の全日本2歳優駿では、JRA2勝馬は抽選対象でした。

世界への扉となったJBC2歳優駿(写真提供/ホッカイドウ競馬)

 こうして無事、全日本2歳優駿への出走を果たしたフォーエバーヤングはレースを圧勝したことで、翌年に海外遠征という選択肢が生まれたのでした。
 もしもJBC2歳優駿に選ばれなかった場合、どんなプランBがあったのでしょうか。矢作芳人調教師はこう振り返ります。
 「当時はまだそこまで思い描いていたわけではありません。全日本2歳優駿を圧勝したあと、年明けに行った話し合いの場で、オーナーは『せっかくできたし、大井競馬場なら見に行ける』と、創設されたダート三冠への思いをお持ちでした。私も大井の人間ですし、オーナーがどうしてもとおっしゃるならそれも悪くないと思いましたが、馬のためを思って言ったのは『種牡馬価値を考えた場合、海外に行って成績を出すのと、大井で三冠を獲ることでは桁が1つ違ってきます』ということ。そこで、サウジだけ、あるいはサウジ・ドバイの結果を見て、ダメなら帰ってくればいい、ということで海外遠征が決まりました」
 こうしたローテーションの決まり方を知ると、JBC2歳優駿と全日本2歳優駿に出走して勝てたことは大きかったと感じます。強い馬は強運も持っている、と言いますが、フォーエバーヤングもそうだったのでしょう。
 BCクラシック制覇への過程として、2年連続でデルマー開催だったことも追い風となったのでは、と思います。

サウジCに向けての追切。

 たとえばその一つがレース当日の動き。1年目は競馬場内の馬房を出てから装鞍、レースへと向かう過程でフォーエバーヤングのスイッチが入るのが「少し遅い気がしました」と調教担当の荒木裕樹彦調教助手は感じていましたが、今回は然るべきタイミングでスイッチが入り、体がぎゅっと締まる感じがあったといいます。一度経験した場所、ということもあったのかもしれません。
 また、カイバについて担当の渋田康弘調教助手はこう振り返ります。
 「去年は切り草にずいぶん苦労しました。ヤングがさすがに『これはいらない』って言い出して、僕も『だよね』と答えるほど。食べやすいように糖蜜で練りこんだりしました。今年はうちの厩舎で使っている物を用意してもらえて、調整がしやすかったです」
 こちらも前年の経験を生かせました。
 ところで、渋田調教助手のフォーエバーヤングとの会話。なんだか微笑ましく感じませんか。芝を食べるのが大好きな同馬について「トレセンで歩いていると、『ねぇ、あれって芝じゃない?』ってヤングが言ってくるんだけど、『違う、色は似ているけどあれは芝じゃない』って誤魔化すんです。だって、芝だと気づいたら、ヤングは頭がいいから毎日そこで止まって食べちゃうから」というエピソードも。
 また、矢作厩舎が馬房の敷料をチップから木材をシェービングしたタイプの物に変えた時には、フォーエバーヤングとは別の担当馬が何度も寝転ぶ様子を「おー、もう1回寝転ぶんか。気持ちいいか」と微笑みながら見守っていました。
 彼特有の感性や馬との会話が私は好きで、聞くたびにほっこりします。母親のように優しく受け止めてくれるから、馬も安心して日々のトレーニングに臨めるのでは、とも感じます。
 2026年はサウジカップ連覇、そして昨年のリベンジを果たすべくドバイワールドカップへと転戦予定とのこと。世界で再び活躍する姿を楽しみにしています。