札幌馬主協会

コラム

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会員コラム

永年馬主表彰受賞に際して :有限会社日東牧場 鎌田博子氏

 おかげさまを持ちまして昨年、有限会社日東牧場は日本中央競馬会様より50年の永年馬主表彰を授与されました。このような表彰制度がある事はまったく認識していなかったために大変驚きましたが、長くオーナーブリーダーを続けることが出来たのは、たくさんの方々に応援していただいたおかげと感謝しています。日本中央競馬会様、会場をお貸しいただいた札幌競馬場の方々はじめ、牧場を支えてくださったすべての方に、この場を借りて御礼申し上げます。また、今年に入ってから生産、所有馬のニットウバジルが2勝クラス戦、3勝クラスの春風ステークスを連勝することが出来ました。高橋文雅調教師はじめ、関係者の方々にも、感謝申し上げます。そして、今回このような機会をいただきました札幌馬主協会の方々にも深謝いたします。
 日東牧場は、戦後間もない頃に開場した鎌田三郎牧場をその前身とします。私が、早来町の吉田牧場から亡夫の昌平のもとへと嫁いできたのは昭和30年。21歳の時でした。ちょうど70年前の事です。
 トサミツルが桜花賞を勝ったのは昭和25年、クインナルビーが天皇賞を勝ったのは昭和28年ですから、私が鎌田の家に入る前の出来事でした。しかし、牧場に戻ったクインナルビーはオグリキャップの5代母となっています。クインナルビーの血を受け継ぐ馬が、今でも多くの方に愛されていると聞いて、嬉しく思います。これは義父の三郎から聞いた話ですが、クインナルビーという名前は「クインになる日」が、その語源だそうです。馬主さんは愛馬が女王になる日を楽しみに、そう名付けたそうです。
 それから、昭和48年にはニットウチドリが桜花賞を勝ってくれました。オーナーブリーダーとしては初めて大きなタイトルを牧場にもたらしてくれた馬ですが、この馬は、幼少期を私の実家である吉田牧場で過ごしていました。ジョッキーをしていた実弟の晴雄(*吉田晴雄氏)が調教を付けていたこともあって、なおさら嬉しかったです。
 レース当日、三郎は阪神競馬場へと足を運んでいましたが、昌平はテレビがある静内の知り合い家にレースを見に行っていました。当時、浦河町ではテレビの放送がなく、ラジオたんぱによるラジオ実況中継しかなかったのです。
 放送といえば、ニットウバジルがまだ2勝クラスの頃ですが、実況アナウンサーがニットウバジルのことを、ニットウスバルと言い間違えたことがありました。そのアナウンサーの方には申し訳ない話ですが、ずいぶんと前(ニットウスバルは2019にJRAを抹消)に引退した馬の事を覚えていてくださったことが、私たちにしてみれば、とても嬉しかったです。
 50年という時間の中では、良い事もあれば、そうでない事もたくさんありました。私は子供の時から馬には触らせてもらえませんでしたので、お話しできるような事はあまりないのですが、当時、家族総出で行っていた乾燥牧草づくりは、そのほとんどが手作業で行っていたこともあって、大変ではありましたが、今となっては良い思い出です。
 夫の昌平は、とても優しい人でしたが、あまり体が丈夫ではありませんでした。そういう意味で言えば体が丈夫で働きものだった義父と比べられて気の毒な面があったと思います。だから、義父も、夫も、子供(昌俊氏)には「無理に牧場を継がなくても良い」と言い、現在は違う道を歩んでおります。しかし、幸いなことにたくさんの方々のご支援で、現在まで過不足なく牧場を続けてくることが出来ました。
 今は、孫のように育てた2人の従業員が牧場の仕事をやってくれています。繁殖牝馬4頭。今年は残念ながら1頭が流産してしまいましたが、無事に3頭の当歳馬をもうけることが出来ました。私は社長とはいえ、馬の事は従業員が、経理的な事は子供たちがやってくれていますので、安心して日々の暮らしを楽しんでおります。
 コロナ以降、年齢的なこともあってなかなか競馬場に行く機会が持てませんが、札幌馬主協会が行う会員懇親会や、研修旅行にはなるべく参加させてもらうようにしています。年代を同じくする懐かしい方々と、実際にお逢い出来ることが、何よりの楽しみになっています。そのような機会を設けていただいていることも感謝しかありません。
 再来年(2027年)は、義父三郎が浦河の常磐町に移住して100年だそうです。これからも謙虚と感謝を忘れずに日々を過ごしていきたいと思いますし。今年生まれた3頭の馬が3歳、4歳、5歳と長く、元気に走ってくれること。それが今の私の1番の望みです。

札幌競馬場で行われた永年馬主表彰

2025年3月の春風ステークスを制したニットウバジル